前回に引き続き、出身校である筑波大学付属駒場中学校、高等学校の思い出についてお話します。
当時の生徒ですが、色々な人がいましたね。
鮎川 哲也という推理小説家について詳細な研究を続けている人がいたり、当時黎明期であったパソコンで、常人には
理解できない言語を駆使して妙なゲームを作っている人がいたり、普段はいたって普通の生徒なのに、音楽祭では
類い希なる才能で賞賛を受ける人がいたり。
いずれにしても、生徒が自分自身の個性を生かすことについて、学校側が制約を課すことは、それが違法な場合等を除いて
ありませんでしたので、生徒はそれなりに自分のペースで好きなことをやっていたという感じでした。
大学での学部選択について強制されることもまずありませんでしたが、割合的には理系を選ぶ生徒が多かったような気がします。
文系を選ぶ人も少ないわけではなく、法学部を中心に多くの生徒が進路選択の過程で文系を選択しています。
文系の選択についてはおそらく2種類あって、始めから法曹、公務員やビジネス業界への希望をうたって文系を選択するタイプと
しばらく迷った結果、文系を選ぶタイプがいたと思います。
私については、しばらくは理系を通していましたが、例えば数学や物理などで、天才的な能力を発揮する人物を目の当たりにして、
ここは自分の土俵ではないと感じ、文系に転じたのですが、おそらく、そういう過程で文系を選んだ人も少なからずいたのではないかと思います。
ただ、どこを選ぶにせよ、学校内で自分の個性を発揮できる場を探し続けていく中で、進路選択が結果としてあるという感じで、
受動的にまたは消去法的に学部を選ぶという空気はなかったような気がいたします。
次に続く