前回に引き続き、出身校である筑波大学付属駒場中学校、高等学校の思い出についてお話します。
当時の生徒ですが、色々な人がいましたね。
鮎川 哲也という推理小説家について詳細な研究を続けている人がいたり、当時黎明期であったパソコンで、常人には
理解できない言語を駆使して妙なゲームを作っている人がいたり、普段はいたって普通の生徒なのに、音楽祭では
類い希なる才能で賞賛を受ける人がいたり。
いずれにしても、生徒が自分自身の個性を生かすことについて、学校側が制約を課すことは、それが違法な場合等を除いて
ありませんでしたので、生徒はそれなりに自分のペースで好きなことをやっていたという感じでした。
大学での学部選択について強制されることもまずありませんでしたが、割合的には理系を選ぶ生徒が多かったような気がします。
文系を選ぶ人も少ないわけではなく、法学部を中心に多くの生徒が進路選択の過程で文系を選択しています。
文系の選択についてはおそらく2種類あって、始めから法曹、公務員やビジネス業界への希望をうたって文系を選択するタイプと
しばらく迷った結果、文系を選ぶタイプがいたと思います。
私については、しばらくは理系を通していましたが、例えば数学や物理などで、天才的な能力を発揮する人物を目の当たりにして、
ここは自分の土俵ではないと感じ、文系に転じたのですが、おそらく、そういう過程で文系を選んだ人も少なからずいたのではないかと思います。
ただ、どこを選ぶにせよ、学校内で自分の個性を発揮できる場を探し続けていく中で、進路選択が結果としてあるという感じで、
受動的にまたは消去法的に学部を選ぶという空気はなかったような気がいたします。
次に続く
ご無沙汰しております。弁護士の千歳です。
今日は私の出身校である筑波大学付属駒場中学校、高等学校についてお話しいたします。
ただ私が在学していたのは、今から約30年前ですので、当時の今とでは学校の雰囲気も大きく変わっているかもしれません。
ですので、私の雑文はあくまでも参考程度にお読みいただければと思います。
筑波大学付属駒場中学校、高等学校は、通称「筑駒」と呼ばれており、共学の学校が多数派を占める昨今において、
男子校でしかも国立という少々変わった成り立ちを有する学校です。
また、男子校でありながら、特定の制服などは指定されておらず、生徒は皆私服です。
といっても、私が在学していたころは、160名の学年生徒のうち、1名くらいは、どこから仕入れたのか分からない学ランに麦の穂をイメージした金バッチを着けて登校していた強者がいました。
私服といえば聞こえが良いですが、着ている服は多かれ少なかれ同じようなものでした。
当時の典型的なファッションといえば、ストーンウオッシュのジーンズにトレーナーというもので、それにスニーカーを履きデイパックを背負っていれば、まあ100メートル先からでもうちの生徒であることが分かるというものでした。
学生の数ですが、中学校は1学年おおよそ120名、高校が1学年おおよそ160名で、それほど多くありません。それでいて、中学校から入学した生徒は高校卒業まで基本エレベーター方式で在学することになりますので、
6年間クラス替えを繰り返すと、その何割かは相当な顔見知りになります。
いいかえれば、6年間の間に、濃密な人間関係が構築されることになります。
授業ですが、私が学生のころは、教科書を開くことは殆どなかったような。
ただ、国語の授業などでは、少し教科書を素材にすることもありましたね。
大半の授業は、先生が興味を持っているテーマを中心に、自作のプリントなどが配られ、それに対してああでもないこうでもないといったお話しをされるのが一般で、これが受験勉強に直結するとしたら、すごいことだなと当時は思っていました。つまり、授業そのものは大学受験に直結するものではありません。
私は最終的に文系に転じたので、専門外ですが、例えば中学2年の数学でオイラー数についての講義があったり、
地学の授業で関数電卓を買うことになったり、色々とありました。
試験は当時は中間試験というものがなく、期末試験一本勝負でした。
それで学期の成績が決まるので、とりあえず、短期集中一夜漬け、突貫工事で何とか体裁を整えるというのが
毎度の流れでした。ただ成績が悪いからと言って何かペナルティーがあるわけでもなく、少なくとも中学校くらいまではのんびりした雰囲気であったと記憶しています。
どこかの雑誌に筑駒の授業は「学級崩壊」しているという表現がありました。これを言葉通りに受け止めると、何かスクールウォーズ的な荒れた教室をイメージしてしまいますが、
そうではありません。
花札をやっていたり、別の勉強をしていたり、文化祭で演ずる劇の脚本を書いていたり、かなり好き勝手にそれぞれの生徒が独自の活動を
していましたが、それが全ての授業に当てはまるわけではありませんでした。それなりに真面目に受けるべき授業は皆真面目に講義を聴いていましたし、
そうでない授業であっても、何かこう、不思議な秩序というものがあって、少なくとも授業そのものが成立しないということはありませんでした
。
むしろこうでもしないと自分の存在価値を学校内で主張できないという雰囲気があって、授業に簡単には従わないぞといった気概そのものが評価されるようなところがありました。
これをもって「駒場の自由」という人がおります。
とある雑誌に大学受験はラスト3か月の猛勉強で行うとありましたが、これは真実でもあり、誤りでもあります。
確かに、プロパーな受験勉強は文化祭終了後のラスト3か月ですが、もちろんそれまで全く勉強を放棄しているかといえばそうではなく、皆周りから取り残されないように
塾などに通って学力レベルを落とさないようにケアを続けております。
もう少し簡潔にいえば、高校に進学すると、否が応でも大学受験のことが気になってくるので、自分なりに受験対策を考えるようになります。ただそれが学生ごとにばらばらに、かつ隠密に行われるので、表に出てこないだけです。
(次に続く)