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ご無沙汰しております。弁護士の千歳です。
これまで幾分真面目な話が続いていたので、少し肩の力を抜いた話をしようと思います。
なお会社破産の件は、連載再開予定ですので、今少しお待ち下さい。
さて、依頼者の方から「先生はいつごろから弁護士になろうと思ったのですか?」との質問を受けることがあります。
そういった場合、「小学校のころから社会正義を守るために弁護士を目指していました」という回答を
期待されている方が多いみたいですね。
で、実際のところは?といえば、もう少し遅くて、高校生から大学生くらいのころです。
といいますのも、私は中学高校通じて生物部で活動するなどしており、自分はてっきり理系の学部に進むとばかり
思っていたからです。
小学校などでは、一番得意な科目は算数でしたし、中学校に入ってからしばらくの間は、数学や理科の方が国語などにくらべて成績も良かったんですね。
ところが、高校に入るころになると、「どうも僕は理系に向いていないんじゃないか?」と思い始めました。
生物部でも、同級生や先輩方はそれこそDNAとか遺伝などの高度な実験を嬉々としてやっているわけですよ。でも私と言えば、そういったことに興味がわかない。
「あれ?どうしたんだろう?」、と思ったわけですね。
それで悶々としていたのが高校時代だったわけですが、ちょうどその頃、通っていた予備校で奥井潔先生という英語の講師の講義を聴いたんです。
奥井先生の講義は英語の講義というよりも国語の講義に近く、多感な高校生であった私の知的好奇心を
大いに刺激してくれました。それがきっかけの一つとなって、私は何故か国語が得意となり、文系科目に興味を持つようになりました。
そして、思い込みの呪縛から解放された私は、自分の目指すべき分野について、改めて考えてみました。
考えてみれば、理系の分野については興味が限定的だし、そもそも数学や科学の分野に関しては天才的な同級生がわんさかいる。自分が到底彼らに対抗できるだけの実力があるとは思えない。
自分はどちらかといえば、文章を論理的に分析し、それを説明することが得意なようだ。ならそれを活かす仕事を目指そう。
そんなことを考え、高校2年生くらいになったころから、文系を目指すことになりました。
これが私が理系少年から文系少年に変わったきっかけです。
もしかしたら、自分が生物部で挫折を経験しなかったら、予備校で面白い講義を聴かなかったら、そのまま理系に進んでいたかも知れません。
偶然というのは、とても不思議なものですね。