
(これからお話しするストーリーは手続を説明するためのフィクションであり、「ミナト木材加工株式会社」も特定の会社を想定したものではありません)
弁護士は説明をしながら委任状を読み上げた後、
「まだ他に分からないことはありませんか?」
とA氏に話しかけた。
A氏は、委任契約の内容については良く理解したが、最後に1点確認しておきたいことがあった。
従業員のことである。
「それで先生。最後に確認したいのですが、従業員はどうなるんでしょうか?」
弁護士は委任契約書が書かれた書面を脇において、おもむろに話し始めた。
「従業員の皆さんには最大限配慮しなければなりません。ここまで会社をもり立ててくれたのは他でもない従業員のお陰ですからね。」「特に給与の点ではこの状況であっても優先的に支払う必要があります」
「破産手続においても、給与債権は破産手続開始3か月前までのものについては最優先の債権である財団債権とされており、それ以外のものについても優先破産債権となり、他の一般破産債権よりも優先して配当を受けることができます。」
「ただ」
「ただ?」
「給与債権は破産手続き上財団債権又は優先破産債権であるとされますが、支払うべき財産が十分でない状況で給与を支払ってしまうと、その効果を破産管財人に否定されてしまうこともあります。」
「ですので、給与の支払いをする場合は、会社に営業が終了したとしても、それらを支払えるだけの十分な資力がある必要があります」
「今なら何とか解雇予告手当も含めて給与を支払うだけの余力はあります」
「それで、解雇はいつのタイミングでするのでしょう。とても心苦しいです」
「一般には、事業を停止した日に行われますが、売上が発生する業務が仕掛かりとして残っているような場合は少し解雇を遅らせることがあります」
「1月30日に全ての製品の納入が終了します。もう少し待てば新たな発注もあるかも知れませんが、私としてはこのタイミングで事業を停止し、この日に工場の稼働を停止しようと考えています」
「分かりました。それでは1月30日に営業を停止することとし、同時に従業員の解雇を通知することにしましょう。」
「今後の支払いはどうしますか?」
「少なくとも業務停止後の支払いは、破産管財人によってその効力を否定されることになります。そうでなくても、今の段階での支払いは破産手続き上問題がありますので、控えて下さい」
「そうすると、業者から色々と督促の電話や手紙が来て大変です」
「私から今回の手続について弁護士が受任したことを内容とする受任通知を各債権者に送ります。その後は専ら私宛に連絡が行くことになりますので、一つ一つ対応する必要がなくなりますよ。ただ、それでも連絡をしてくる業者はいますし、そもそも受任通知を送付すると破産手続に入ることが知れることになるので、通知のタイミングについてはこれから相談しましょう」
「個人の破産の件も含めて、他に分からないことがあったら、教えていただけますか?」
「もちろんです。今までは一般論が中心でしたが、今後は具体的な事情に即してお話しができると思いますよ」
A氏は委任契約書に記名捺印をした。その後、予め依頼されていた書類一式を弁護士に渡し、ひとしきり話をした後に事務所を出た。
その後A氏は、会社に戻り、監査役に破産手続に移行することを伝えた。
監査役のC氏は、最初驚いた様子であったが、会社の財務状況や損害賠償請求の話については十分A氏と話し合っていたことから、その全てを受け入れ、破産手続に協力することに同意した。
1月30日を迎えた。